正しい判断
18才選挙権が施行されて初めての参院選が終了
私見をまとめているサイトをいくつか見ましたが
一番間違っているな
これは書かなければいけないなと思う意見に対してひとつ

「18才という若い人はネットを使って多角的にものを見るのシールズなどの一面的な意見に左右されず正しい判断をした」
おおまかにいうとこんな感じの趣旨でした

インターネットを使ってるから多角的にものを見ることができるというのは大きな間違い
むしろネットを使っているから意見が偏るとだんなは思っている

もちろんインターネットは多角的な意見を収集することができるツールである
だが使っている側はどうだろう?
自分でも使っていて気づくことだが
例えばニュースサイトを見て記事一覧をざっと読んだとき
そこにはタイトルしか書いていないので
内容を詳しく知るためには記事を選ぶ必要がある
つまりそこで自ら多角的な意見を収集しようという意識がなければならず
限られた時間を有効に活用するためには自分の興味のある記事だけを選択するのが自然であろう

ここがこれまでのTVや新聞などのマスメディアとの決定的な違いで
TVをつけていれば自然と聞こえてくる自分と異なる他者の意見が入ってこない
自分の興味のある記事共感できる意見しか目に入らないインターネットの世界は
決して多角的にものを見ているとは言いがたい

さらに今の若い人の主流はSNSと聞く
SNSは自分の興味のある人や同じ意見を共有する人によるコミュニティである
多角的などという言葉とは程遠い
インターネットの世界の中の井戸端会議だ


「シールズなどの一面的な意見」
たしかにシールズの意見は一面的な部分がある
だが安保法制に対する反対デモが起きていた時マスメディアやネットではどう対応していたか
あの頃デモに参加していた人たちは多数の様々な人たちだった
それぞれが自分の考えで反対デモに参加していた
だが気づくとマスメディアやネットでは「反対しているのはシールズ」と
反対デモに参加している人たちをひとまとめにくくるようになる

だんなはこれをいかにも日本人的な悪い癖と思った
よくわからないものをひとまとめにして表現する
闇夜のよくわからないもの=妖怪
今年の新入社員=○○系
女に奥手=草食系男子
etc...
ひとまとめにしてしまうのは
表現するには便利だが個々の個性を潰してしまう危険もある

反対デモもそうだった
参加しているのは様々な意見を持った新安保法制に反対という共通点だけの個人
だがいつのまにか反対している人たちはシールズにまとめられ
(シールズの動向しか報道しなくなったとするのが正確だが)
次にシールズの問題点(安保法制に関係ないシールズに参加している個人の問題も含め)を攻撃し
シールズはダメ → 安保法正反対はダメ
という構図を作り出し
またこれも日本人の悪い癖「時間が経つとなんとなく忘れる」を発揮して
安保法正反対は下火になった

今回の憲法改正についてはけっして一面的な意見ではない
それを「シールズ」にひとまとめにして間違っていると断ずるのはおかしい!

※注 面倒なことに巻き込まれることを避けるため一部表現を正式表記からカタカナに変更して表現しました

160717