宗教と精神
だんなの知人の中に信心深い人が何人かいる
信心があるのはいいことだと思うし
無信心のだんなはそれを尊敬するのだが
ただそういう信心のある知人には
共通して精神的に弱いという欠点がある
なんでだろう?

結論を考えれば
「精神的に弱いから宗教に頼る」という答えが簡単なのだが
どうもそれだけではないような気がする
なぜならその知人達はいずれも
その両親から信仰のある家庭で育ち
生まれたときから自然に信仰を身につけているように見えるからだ
でもそれは宗教の形としては不自然である

宗教とはそもそも人智の及ばないなにかに対する畏怖であり
そのなにかとは天変地異であり将来の不安であり精神の闇であり
この御せないものに対して信仰が成立していくのが自然なのだ

両親が信じていたからという受動的な信仰は
自らの心を開いた上での信仰ではないから
信仰するという意味を深く考えることを怠りやすくなる
だから「信仰」が先行し「信仰」に依存するようになり
精神が育たないのではないだろうか?

・・・だが神はいくら信仰したところで必ず救ってくれるわけではない

信心深いことは大切だが
自らの精神を鍛えることも怠ってはならないと
だんなは思う

070922