般若心経における「空」という真理
正確なことは分からないが
般若心経における「空」という概念をだんななりに理解するとそれは

すべてのものは「空」という真理を持っている
「空」とはすべてのものは無常であり
変わらないものなど存在しない
そして「空」は物質だけでなく精神においても同じ真理であり
「空」は不変であり普遍である
だから「空」の立場から見ればなにひとつ確たるものがないのだから
物質も意識も無知も老いも苦しみも
その苦しみを取り除く手段もない
この真理を拠り所とするから心になんのこだわりも持たずにいられ
それが悟りの境地となる
般若心経ではこの「空」という真理を
観音菩薩が弟子の舎利子に説く形で語られているお経である
らしい


ここでだんなが理解できないのは
すべてのものが「空」であり
あらゆるものが移りゆくものであるのなら
不変と説かれている「空」もまた変わるものではないか?
「すべてのものが変わるという真理は変わらない」という論法は
矛盾してはいないか?

そういった真理を求める心もまた「空」であり
真理を求める心も捨てることが悟りの境地である
ということか?

最近そんなことを考えている

070317