信じるということ
よく心霊現象などに対して
「自分が見たもの以外は信じない」
という人がいますね

さてめぐみさんの骨が偽物だったという鑑定結果が出て
お父さんとお母さんが大変ご立腹です
まあ当然です
ところで
北のお国の皆さんはその骨をめぐみさんの骨だとして提出しました
しかしそれを信用せずDNA鑑定を依頼
鑑定結果ではめぐみさんの骨ではありませんでした
さてあなたならどっちを信じる?

少なくとも私は
北の国の拉致被害者調査の担当者に面識がありませんし
同様に鑑定をした帝京大学の教授か誰かも知りません
そしてその結果を報道というフィルターを通して知った旦那には
そこに政治的な意図を介入させることは容易なことだと感じるわけで
どっちの主張も信用度においては同じレベルだと感じてしまいます
それを骨が届いた時点から「めぐみのものではない」となんの証拠もなく全否定し
日本の鑑定結果だけを信じて激昂し徹底抗議を要求するってのは
ちょっと一方的でおかしいんじゃないか?
もちろん過去の経験による信用度というのはあると思いますよ
でもそれをやって
オオカミが来たと叫ぶ少年の言葉を信じずに全滅した村もあるわけで・・・
被害者に加害者を信用しろとは言わないけれど
もう少し公平な目で見れないものかな?

自分が見たもの以外を信じないんだったら
エジプトに行ったことのない旦那は
ピラミッドの存在を否定しなきゃならなくなる
でもそんなわけにもいかないのだから
少しは相手を信用することも大切じゃないかな
完全否定するより少しでも信用することは
それだけ少し世界が平和になるような気がするよ

021216